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デザインフィクションで型破りな構想

=イーロン・マスク氏も実践する未来予測=

2021年01月21日

社会・生活

客員主任研究員
田中 博

 米フロリダ州のケネディ宇宙センター。現地時間の2020年11月15日午後7時半、全長70メートルもある巨大ロケット「ファルコン9」が打ち上げられ、爆音を立てながら漆黒の天空へ吸い込まれていく。ロケット先頭部分に搭載された有人宇宙船「クルードラゴン」が、野口聡一氏を含む宇宙飛行士4人を国際宇宙ステーション(ISS)に無事送り届けた。

 この巨大ロケットから有人宇宙船、管制業務まで一貫して担うのが、民間の宇宙関連企業スペースXだ。創業したのは、イーロン・マスク氏。世界最大の電気自動車(EV)メーカー、テスラも率いる米国有数の実業家だ。マスク氏は地下トンネルによる新交通システム構想をぶち上げたり、脳とコンピューターをつなぐ技術を開発したりなど、奇想天外な発想力や疾風怒濤の行動力、苛烈なまでの事業意欲から「次のスティーブ・ジョブズ」の異名を取る。

 ⽶ブルームバーグの⻑者番付によると、マスク⽒の純資産は世界1位の2010億ドル(2021年1⽉19⽇時点、1ドル=105円換算で約21兆円)で、アマゾン・ドット・コム最⾼経営責任者(CEO)のジェフ・ベゾス⽒を上回る。マスク氏はこうした事業を大胆に展開する上で、ある未来予測の手法を用いているとみられる。それが、「デザインフィクション思考」である。

 この思考法は、米国のSF作家ブルース・スターリング氏(1954年〜)が2005年に刊行した著書「Shaping Things」の中で初めて提唱した。同氏は「『未来になっても何も変わらないだろう』という考えを見直してもらうために活用する、物語的プロトタイプ」と定義。それがビジネスの世界では今、未来予測の手法として広がりつつある。「未来社会の極端な姿をSF作品さながらに夢想し、それを実現する上で現在何が必要なのかを、『Backcast』で考える思考法」と解釈され、イノベーションを生み出せる手法として注目を浴びているのだ。

アシモフ作品がマスク氏の原点

 マスク氏の生い立ちを調べると、デザインフィクション思考につながる「原点」が見えてくる。

 1971年に南アフリカ共和国で生まれた彼は、読書三昧(ざんまい)の少年時代を過ごした。SF小説や伝記など1日に2冊読破し、小学校中学年の頃までに学校や近所の図書館の本を読み尽くしたという逸話もある。

 愛読書の1つと公言しているのが、旧ソ連生まれで米国に帰化したSF作家アイザック・アシモフの「ファウンデーションシリーズ」(1951~1993年)だ。人類が暗黒時代に覆われることを予測した、主人公の心理歴史学者が、それを阻止しようと立ち上がり、第2帝国を建国するための「ファウンデーション(=財団)」を設立する物語である。実際、マスク氏はツイッターで「ファウンデーションシリーズ」がスペースX設立の基礎となったことに言及している。

写真スペースXの成り立ちに関するマスク氏のツイート
(出所)マスク氏のツイッター(@elonmusk)

 マスク氏は17歳の時に両親の故郷であるカナダに渡り、19歳でクイーンズ大学へ進学、2年後には米ペンシルベニア大学に編入し、経営学と物理学を学ぶ。こうして培われた経営的センスや技術的基礎が、後のスペースXやテスラの事業展開に大きく役立つことになる。

 マスク氏の飽くなき情熱を支えるのは、「人類を救いたい」という崇高な志だ。地球環境が汚染され続けるのであれば「火星に移住すればよいではないか」と考え、その第一歩として2003年、スペースXを立ち上げたのだ。

 火星に移住可能なロケットを造り上げるまでに地球環境の破壊が進んでしまえば、元も子もない。だからまずは、排ガスをまき散らすガソリン車に代わるEVを世界中に走らせよう―。テスラのEV事業もこんな風に位置付けているようだ。

 スペースX創業に当たりマスク氏は、「火星へ移動する手段が必要だ」と考え、当初、打ち上げロケットとして大陸間弾道ミサイル(ICBM)の転用を思いつく。実際、ICBM購入を目指してロシアまで3回も足を運んだが、交渉は失敗。2002年、帰途の機中でノートパソコンを開き、ロケットの材料から製造、打ち上げまでの詳細なコストを一心不乱に計算する。

 そして導き出された結論が、「コストを削減すれば、自前でロケット製造することは可能だ」―。つまり、再利用可能なロケットの大量生産である。それによってコストを100分の1にまで削減できると確信し、幾度かの失敗を経た末、ついに宇宙ビジネスを形にした。

 2016年、マスク氏は火星に居住地(コロニー)を建設する「火星移住計画」を発表した。十数年以内に、100〜200人が乗船可能な宇宙船で人類を地球から火星に移送。40~100年後には、100万人が暮らし自給自足できるコロニーを建設するという壮大な物語である。

 それを実現する上で不可欠となったのが、火星の過酷な自然環境を穏やかな地球のように変える「テラフォーミング」である。火星は太陽からの距離が地球よりも離れているため気温が低く(最低気温マイナス140度程度)、氷やドライアイスが豊富にあると予想される。それらを溶かして火星を温めるという。天文学者のカール・セーガンが1971年に提唱したアイデアだ。マスク氏がツイッターに投稿した「火星が大気を帯びて地球化していくイメージ画像」からは、テラフォーミングに懸ける熱情が伝わる。

写真火星のテラフォーミング
(出所)マスク氏のツイッター(@elonmusk)

欠点を補いながら、進化を続ける未来予測

 自らの信じる道を突き進むマスク氏は別格としても、いつの時代も企業経営者は「どんな未来が待ち受けているか」を知りたいと願う。

 未来を正しく予測できれば、いち早くビジネスチャンスを見出せるからだ。未来で成功を収めるためには、どんな技術が必要になるのか。あるいは、どんなビジネスモデルを構築すべきなのか...。それらが明確になれば、企業がとるべき針路は確固たるものになる。

 しかしながら現実には、未来を予測することは実に難しい。政治や経済、社会といった企業を取り巻く環境の変化によって、未来の姿が大きく変動するからだ。新型コロナウイルスの感染拡大で世界が一変したことが、図らずもそれを証明してみせた。加えて秒進分歩のデジタル技術が、あっという間に既存ビジネスを陳腐化させてしまう。

 不確実性の高まる現代においてデザインフィクション思考が注目されるのは、未来社会の「極端な姿」を夢想するという全く新たな発想の下で、ライバル他社が思いも寄らない製品やサービスをいち早く生み出せる可能性があるからだ。

 今回、デザインフィクション思考を理解するためにまず、これまでの未来予測の変遷を調査した。それに当たり、未来予測の手法に詳しい保井俊之・慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授に取材し、次の表にまとめたのでこれに基づいて説明しよう。

未来予測手法の変遷

図表(出所)保井俊之教授への取材を基に編集部

 ①専門家の予測を統合する「デルファイ法」

 企業が活用する未来予測には元々、軍事目的で開発されたものが多い。その1つが1950年代に開発されたデルファイ法だ。米空軍が実施した「デルファイプロジェクト」の中で、業務委託を受けた米ランド研究所が開発。あえて敵対するソ連側の視点に立ち、「米国産業界を破壊するために必要だと考える原子爆弾の数」を予想した。

 この手法は「多方面の専門家の予測を統合すれば、より良い予測になる」という考えに基づく。このため、多数の専門家にアンケートを実施した上で、その集計結果を各専門家にフィードバックする。

 アンケートを繰り返しながら、最終的に意見を1つにまとめる。欠点としては、「数値化できるような事象」の予測しか対象にならないことだ。

 ②石油危機で成功を収めた「シナリオプランニング法」

 デルファイ法の課題を解決するために、1960年代に登場・普及したのが「シナリオプランニング法」だ。歴史的な出来事や自然環境、政治動向、技術革新などの要因を参考にした上で、それらが現実に起こる確率を考慮しながら、複数の未来シナリオを作成する。先述のランド研究所が、デルファイ法を企業の事業計画へ転用したものだ。

 この手法を用いた有名な事例には、国際石油メジャー7社(=セブンシスターズ)の一角を占めていた英シェル(現英蘭ロイヤル・ダッチ・シェル)による石油供給量の予測がある。石油業界は1950年代~1960年代、イラン政変(1953年)や産油国による石油輸出国機構(OPEC)設立(1960年)など、想定外の事態に幾度となく見舞われ、そのたびに原油価格が大きく変動した。

 その経験を基に、シェルは1973年5月、シナリオプランニング法を使って複数のシナリオを準備した。すると、同年10月にイスラエルとアラブ諸国との間で第4次中東戦争が勃発、原油価格はわずか3カ月で約4倍に跳ね上がった。いわゆる第1次オイルショックである。備えができていたシェルは、セブンシスターズの中で唯一利益を確保できたという。

 ただし、シナリオプランニング法にも課題はある。未来予測にどこまで要因を含めるかが、実に悩ましいのだ。例えば、内需関連の企業が石油価格の上昇を予想しても、自社ビジネスに関連性の高いシナリオを描きにくい。一方で、予測する際には関連性が低いように見えても、現実には当該企業に大きな影響を及ぼす未来の出来事も少なくない。このため、その線引きは非常に難しい。

 ③時間+インパクト「ホライゾンスキャニング法」

 その解決のために編み出されたのが、米有力シンクタンクのスタンフォード研究所(SRI)が1960年代に開発した「ホライゾンスキャニング法」だ。これは、シナリオプランニング法と組み合わせで活用されることも多い。

 何がいつ起こるかという「時間軸」に加え、起こる確率が低そうな出来事でも、影響度が大きいものを拾い上げるのが特徴だ。そのために「インパクト軸」を併せて考える。

 具体的には、専門家の意見や文献、インターネット情報、エッセーなどから、「予測する未来に関係あるかどうか分からないが、未来社会に大きな影響を及ぼしそうな兆し(=weak signal)」を多数集める。それを時間とインパクトの両面からマッピングし、未来予測を行う。

 この手法は多大な労力を要するため、大きな分野での未来予測に活用されるケースが多い。例えば、欧州議会の科学技術選択評価委員会(STOA)は2010年代半ばからこの手法を活用しており、今でも決して廃れていない。

 ④米国半導体工業会が成果を上げた「ロードマップ法」

 ホライゾンスキャニング法よりも、対象範囲を狭め、時間軸を細かく設定しながら、未来をより具体的に予測できるように改良されたのが「ロードマップ法」だ。米国半導体工業会(SIA)がこの手法で作成、1993年に公開した「半導体技術ロードマップ」が大きな成果を上げ、産業界全般で活用が進んだ。

 その特徴は、「未来に向けて時系列的に何が起きるか」「何が将来のボトルネックとなるか(=クリティカルパス)」までを洞察できることにある。

 具体的にはまず、「実現確率の高い」技術的シーズや社会的ニーズを時系列に並べる。そして「幹」となる予測を基に、将来の各時点で必要あるいは可能になる「枝葉(=技術やニーズ)」を検討する。それにより、適切な順序で技術開発や課題解決が可能になる。

 ⑤集合知を活用する「デザイン思考」

 ここまで紹介してきた手法は、予測主体の視点に基づく、いわゆる「プロダクトアウト」の発想である。しかし、こうした手法は次第に勢いを失っていく。なぜなら、率先してきた米国の製造業、特に自動車産業の競争力が衰退したからである。一生懸命に未来を予測して商品開発を行っても、顧客視点からの商品・サービスではなければ、魅力に乏しく売れない時代に突入したのだ。

 そのような反省に基づいて生まれ、2000年頃から広がったのが、「デザイン思考」だ。それまで製造業にとってデザインは、「製品はちゃんと作ったから、あとは外見を良くしておいて」といった程度の位置付け。

 しかし顧客の力が増すとともに、「デザインは未来予測に使える道具」という認識が強まり始めた。そこで注目を集めたのが、デザイン思考である。複数の人間が徹底的に顧客を観察した結果(=気づき)を基に、動画やイラスト、モックアップなどで「プロトタイプ」という形を試作する。

 その気づきを顧客に提示し理解してもらい、さらには共感へと深化させながら、商品開発に取り組もうという手法だ。プロダクトアウトとは対照的な「マーケットイン」の発想といえ、デザインコンサルタント企業の米IDEOによって普及した。

 デザイン思考の根底には、「さまざまな課題が複雑に絡み合う中、個人で考えていても限界がある。皆の集合知で考えると、より広く課題が解決できるのではないか」という思想がある。

 ⑥不連続な未来を予測する「デザインフィクション思考」

 ところが2010年半ば過ぎから、デザイン思考では解決できないような難題も出てきた。この手法はどちらかと言えば、「いま想定され得る課題」を得意とするからだ。例えば気候変動の問題にしても、現時点の想定をはるかに超えた「不連続な未来」の予測には活用しにくい。

 それでは、「不連続な未来」をどう予想したらよいのか。そこでクローズアップされたのが、本稿のテーマである「デザインフィクション思考」だ。「極端な未来の姿」を夢想した上で、SF小説さながらにストーリーを作成する。

 その上で、現在の規範や倫理、価値観に基づくモノの見方に疑問を投げ掛け、そのストーリーの世界観を議論することで洞察を得るという手法である。

 ⑦悲観的な未来を想像「スペキュラティブデザイン思考」

 2010年以降、デザインフィクション思考の流れを汲む「スペキュラティブデザイン思考」が広がり始めた。「こんな悲惨な未来もあり得るのでは」「こんなことが起きたら困るよな」といった、極端にネガティブな未来の姿まで想像(Speculate)した上で、それを前提にどう対処すべきかを考えていくのだ。課題解決よりも、問題発見を重視する手法といえよう。

デザインフィクション思考の先駆者たち

 イーロン・マスク氏のように、SF作品から着想を得て技術の発展に寄与したり、画期的な製品・サービスを開発したりする例は少なくない。

 デザインフィクションというべき思考で類稀(まれ)な業績を上げた先駆者を、「宇宙」「デジタル技術」の分野別にとり上げ、彼らが「着想を得たSF作品」と「実現した技術・製品」を次の表にまとめた。

デザインフィクション思考の実践例

(注)小説は原書発行年、映画は米国公開年、特記以外外国人は米国
(出所)編集部

 ここでは、「宇宙分野」から2人抽出し、デザインフィクション思考の代表的な実践例について紹介する。

 宇宙分野においては、「現代SFの開祖」とされるフランス人小説家ジュール・ヴェルヌを抜きには語れない。SF小説「地球から月へ」(1865年)と、その続編「月世界へ行く」(1870年)は、宇宙ロケット研究者の想像力をかき立て、宇宙工学技術の発展に大きく貢献した。

写真月世界へ行く」(ジュール・ヴェルヌ、江口清訳、東京創元社、2005)
(出所)版元ドットコム

 この2作を通じ、「大砲の弾丸の中に人が乗り込み、地球から月を回る軌道を飛び、再び地球に戻ってくる」というストーリーが展開される。

 驚かされるのは、飛行機すら実用化されてない、日本でいえば明治維新の前後に当たる時代なのに、宇宙に行くために必要な弾丸の発射速度やその形・性質といったディテールまで緻密に描かれていることだ。

 「ロケット推進の父」と呼ばれるロシア人科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキー(1857~1935年)も、ヴェルヌ作品に触発された1人だ。

 伝記小説「宇宙飛行の父ツィオルコフスキー 人類が宇宙へ行くまで」(的川泰宣、勉誠出版、2017)によると、彼は幼少期にヴェルヌを読み、人類が宇宙に行く未来を夢想。多くの人が夢物語だと片付ける中で、本気で実現可能性を模索し、世界で初めて宇宙ロケット研究を始めたのだ。

 彼は独学で数学や物理学を学び、1897年にロケットの噴射と速度の公式「ツィオルコフスキーの公式」を発表。これは、今でも宇宙工学の基本公式として知られる。そのほかにも、人工衛星や多段式ロケットを考案するなど、宇宙ロケット開発の礎を築いた。

アポロ計画を導いたドイツ人亡命科学者

 米航空宇宙局(NASA)がホームページ上で公開する「NASAの歴史と人々」によれば、アポロ計画(1961~1972年)に携わったNASAマーシャル宇宙飛行センター初代所長ウェルナー・フォン・ブラウン(1912~1977年)も少年時代にこの2作を読み、「人類が宇宙に行く未来」を思い描いた。

 彼は第二次世界大戦終結(1945年)までドイツ軍でロケット開発を主導し、世界初の弾道ミサイル「V2ロケット」を開発。音速の4倍のスピードで大気圏外を飛び、目標を破壊するロケット兵器は「宇宙空間へ到達した世界初の人工物」とされる。

 しかし、彼は「兵器開発よりも、ロケットで宇宙に行き新たなフロンティアを創りたい」という強い想いを抱いていた。それをかなえるために戦後、米国へ亡命し、米陸軍でロケット開発を指揮した。そこで、人工衛星や有人宇宙船を打ち上げるロケットの基礎となる「レッドストーンロケット」の開発に取り組む。1960年にNASAへ転じ、有人月探査を目的とするアポロ計画を主導した。

 ついに1969年、アポロ11号が世界初の有人月面着陸に成功する。フォン・ブラウンは、ヴェルヌが描いた世界を相当忠実に再現した。例えば、アポロ計画で開発された司令船(=宇宙船の乗員が滞在する部分)は、アルミニウムを主体とする円錐形。この外観はヴェルヌ作品に登場する宇宙船とほぼ同じ。また、宇宙から地球へ帰還する方法も驚くほど一致している。

図表アポロ計画でヴェルヌが描いた世界を実現
(出所)「月世界へ行く」とNASAを基に編集部

「一家にクルマ1台」を夢想したフォード

 SF作品から着想を得て「極端な未来の姿」を夢想するのが、デザインフィクション思考の肝である。しかし先駆者の中には、SF作品から着想を得るのではなく、自らSFさながらに「極端な未来」を夢想し、イノベーションを起こした例もある。それを「ビジョン提起型」の未来予測と名づけ、ここで紹介したい。

 「自動車の歴史を変えた」といわれるヘンリー・フォード(1863~1947年)は、まさにその代表だろう。伝記小説「フォードの物語」(宮本晃男、岩崎書店、1975)によれば、馬車全盛時代の農村で生まれたフォードは「農作業をもっと楽にしたい」と考えたことがきっかけで、自動車の開発に着手した。すると、彼は「一家にクルマ1台の社会が来る」という未来を思い描くようになる。

 もっとも、その道のりは決して平坦ではなかった。1899年にデトロイト・オートモービルを創業するが、2年も経たずに解散。当時の自動車は一部の金持ちの贅沢品であり、いかに豪華な装備にするかが勝負だった。

 しかし、フォードは「普通の人でも無理なく買える値段のクルマをつくる」という信念を譲らず、それが元で出資者と対立したのだ。

 自動車の開発を続けたフォードは1903年にフォード・モーターを創業し、小型大衆車に焦点を合わせる。また、ショールームや販売代理店を活用したディーラー制度を構築するなど、庶民が購入しやすくなる施策を展開した。

 そして1908年、安価で完成度の高い「T型フォード」を発売すると、累計1500万台以上売れる爆発的なヒットを記録し、世界中に劇的なインパクトをもたらした。常人では予想もできなかった「自動車の世紀」の到来である。

パソコン普及前、ネット全盛時代を確信したジョブズ

 アップルの創業者スティーブ・ジョブズ(1955~2011年)も、「ビジョン提起型」の経営者の1人といえるだろう。1983年に米コロラド州アスペンで開催された「国際デザイン会議」の講演の中で、未来のコンピューターについてこう語っている。

 「パーソナルコンピューターが新たな通信手段になる」「人々が自動車に費やす時間よりも、パーソナルコンピューターとやりとりする時間のほうが長くなる」―。パソコンさえ普及していない時代、まるでインターネット全盛社会の到来を予期していたかのようだ。

 同時に、ジョブズは「われわれが目指しているのは、どこにでも持ち歩け、20分で使い方を学べる、本のようなコンピューター。これは無線を搭載しており、データベースや他のコンピューターと接続できる」という夢も披歴していた。

 この時既に、ジョブズは頭の中に「iPhone」(2007)や「iPad」(2010)の原型を思い浮かべ、それが不可欠となる世の中が必ず到来すると確信していたのではないか。その大きなビジョンには圧倒されるばかりだ。

 コロナ禍で世界全体に閉塞感が強まる中、企業にとっての最優先事項が「今」をどう乗り切るかであることに異論はない。ただそれにとどまらず、これまでにない発想でこの閉塞感を打ち破る努力も欠かせないだろう。

 今、経営者に求められるのは、マスク氏を含め偉大な先駆者たちが抱いた壮大な構想力と、実現に向けた情熱なのではないか。迷える経営者を導く手法として、デザインフィクション思考は大きな可能性を感じさせる。

写真ファウンデーションシリーズ「ファウンデーション対帝国」(アイザック・アシモフ、岡部宏之訳、早川書房、1984)
(出所)版元ドットコム

 写真銀河ヒッチハイク・ガイド」(ダグラス・アダムス、安原和見訳、河出文庫、2005)
(出所)版元ドットコム

写真ダイヤモンド・エイジ」(ニール・スティーヴンスン、日暮雅通訳、早川書房、2006)
(出所)版元ドットコム

田中 博

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※この記事は、2021年1月5日発行のHeadLineに掲載されました。

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